新卒で入社した会社で、私は法人営業を担当することになった。
若い人間がいきなり大きな案件を任されることはないので、まずは質より量で顧客を割り振られ、営業車を駆ってお客さんを訪ねて回る日々を過ごす。「どんな営業マンが、対応してくれる総務担当者に好かれるのだろう?」。試行錯誤しながら、時には先輩や上司にアドバイスをもらって、自分なりの「営業マン像」を模索していた。
その後、数回の転職を経た現在、あろうことか「営業を受ける側」である総務に籍を置いている。
施設管理や給与計算、会計に電話対応と、やることは多い。しかし、やはり内心ワクワクしてしまうのは、自分の会社に訪ねてきた営業マンと話す時である。まるで数年越しの答え合わせのようで、向かいの席に座っている相手の一挙手一投足を観察してしまう。
意外と忙しい総務の実態
「営業に行く側」から「営業を受ける側」になって最も変わったのは、総務という仕事へのイメージだ。
営業マン時代は、「総務の人はずっとデスクワーク」「黙々とパソコンと向かい合って事務仕事をこなす」という印象を抱いていた。しかし、実際に総務の人間になってみて、それが大きな間違いだったことを知った。
もちろんこれは会社によって異なると前置きしておくが、少なくとも私が現在務める会社の総務は、それなりに忙しい。というのも、総務という立場は意外とやることが多いのだ。ルーティンである会計や労務の他に、ひっきりなしに鳴る内線の対応や、外線・来客対応など、自分のペースとは違うタイミングで舞い込む仕事が多い。その実態は、会社全体の「なんでも屋」だったのだ。良い意味でも、悪い意味でも。
理屈では「総務ってこういう仕事なのだろう」と分かっていたつもりだが、いざ自分がやってみると、思いのほか大変であった。もちろん、だからこその面白さもあって、自分はそれなりに楽しんで仕事ができているつもりである。
「サッと帰る」というテクニック
とはいえ、そこに沸いてくるのは、営業マン時代に「良かれと思ってやっていたこと」が、総務の人には割とお節介だったのでは、という疑惑。
例えば、アポなしでの突撃。お客さんとの顔つなぎのために足しげく通うのは営業の基本だが、アポなしで訪問されて「ちょっとだけでもお話できませんか?」と言われると、例え忙しくてもそれを無下に断ることはできない。
ここが難しいところで、巧い営業マンは、ちゃんと「断っても構わない空気」を伴って窓口に来てくれるのだ。「すみません、今ちょっと手が離せなくて・・・」「いや、こちらこそ突然すみません!パンフレットだけ置いていきますね!」。
一方で、ノルマなのかそういうスタイルなのか、どうしても直接話をしたがる営業マンもいて、それならそれでちゃんと事前にアポを取って欲しい、と思ってしまうのである。これでは、友好的な関係には発展し辛い。
巧い人は、ちゃんとアピールしつつ、しつこくならないようにサッと帰っていく。営業相手となる総務担当者(この場合の私)の仕事のクセを分析して、時にはメールや郵送で済ませ、時にはしっかり約束を取りつけて訪問し、上手い具合に好感度を積み上げていく。
こちらも人間なので、やはり見積書の数字だけでなく、何度も足しげく通ってくれた人には弱くなってしまう。それなりに、ほだされてしまうのだ。
そしてそれは、単に訪問回数の問題ではない。いかに相手の仕事の実情やペースを想定し、そこに自分をごく自然に潜り込ませることができるか、というテクニックが生み出す結果なのである。
本当に口説くべき相手は誰なのか
「受ける側」になって痛感したのは、総務という仕事の忙しさや、それを汲んでくれる営業マンとのコミュニケーションだけではない。「行く側」の最たる目的である、何かしらの契約の成立。これを実現するために、誰を説得するのか。誰を口説くのか。ここの考え方が、昔の私はまだまだ未熟だったな、と。
あの頃の私は、自分を担当してくれている総務の人に好かれることばかりを考えていた。相手の会話のトーンに合わせ、趣味嗜好を把握し、仲良くなる。そして、「その人」が扱いやすそうな書類を作り、「その人」が好みそうなフレーズを並べる。
しかし、本当に契約を成立させたければ、真に口説くのは「その人」ではない。実際に現在進行形で「その人」をやっている自分は、仲良くなった営業マンと折衝を重ねて作り上げた見積書を、上司に何度も却下されている。
本当に巧い人は、仮に私が「え?」と思った内容でも、「御社にとってはこれが最善のはず」というプレゼンを仕掛けてくる。もちろん、その全てが妥当とは限らないが、私にも気づけなかったリスクや課題を、社外の人に指摘される場面があるのだ。
真に口説く相手は誰か。それは、「その人」をフロントとした“御社”そのものである。応接室の中だけで完結するものを持って行っても、結果には繋がりにくい。これもまた、理屈では分かっているつもりでも、つい懸命に目の前の「その人」を口説くことに集中してしまうのである。
「受ける側」になって初めて、「その人」がビジネス上の「橋渡し役」であることを実感できたのだ。
あの頃と今、経験できて得られたもの
営業マン時代のあの頃、「とにかく何回も通おう!」「結局は数字勝負だろうから見積書を切り詰めて出すぞ!」「総務の担当者と仲良くなるぞ!」と奮闘していたのが懐かしい。
もちろんそれはあながち間違いではなかったが、もっと効率よく結果に繋げるためのテクニックや考え方が、あの頃の自分にはまだまだ備わっていなかったと思う。
転職して、タイプが逆の部署で働く経験を経て、「行く側」「受ける側」双方の認識を得られたのは、本当に貴重な体験だった。
「行く側」の気持ちも分かるつもりなので、「スミマセン、ちょっと遅れます」という電話には「お気になさらずに!」と笑顔で返せるし、「上司を説得するためにこういう書類を用意できないか?」という具体的な相談もできる。これは、営業だけ、総務だけ、では持てなかった感覚だろう。
そしてこれは何も、営業と総務に限った話ではない。例えば営業職と技術職、もしくは全く違う業界への転職。立場が変わって初めて、「理屈では分かっていたこと」が腹に落ちてくる体験。月並みだけど、やはり経験という二文字は疎かにできないな、と感じる日々である。
最近は、同じ会社内でも、この「営業と総務」の考え方を活かせないか、と考えている。
つい他の部署と対立しそうな場面もあるけれど、「相手はこの仕事をどう認識しているのか」「どういう“持って行き方”なら互いの仕事が上手くいくのか」など、常に双方が営業に「行く側」とそれを「受ける側」に属している、というシミュレーションを行うように心がけている。
そんな仕事を終えて家に帰ると、専業主婦をしてくれている嫁さんに「ちょっとアレを手伝って」「これをお願い」と指示を受ける毎日だが、彼女には彼女なりの、家事という仕事のペースや苦労があるのだ。
経験は、どこにでも置換できる。家庭内では一転、「夫」という肩書きの営業マンとして、良好な夫婦関係を築いていきたいと思う。
著者プロフィール
結騎 了
仕事と育児に追われながら「映画鑑賞」「ブログ更新」の時間を必死で捻出している一児の父。ブログ『ジゴワットレポート』を運営中。
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