採用されることをゴールにする無意味さ

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僕の最初の著書『脱社畜の働き方』には詳しく書いたのだが、実は大学院生の頃に数年間、友人とソーシャルゲーム開発会社を経営していたことがある。当時はソーシャルゲーム市場が急成長を遂げていた時で(怪盗ロワイヤルが一世を風靡していた時代だ)、一攫千金を狙った人たちが次々と小さなソーシャルゲーム開発会社を興し、mobageやGREEにゲームを出しては「当たった!」「外れた!」と大騒ぎしていた。僕もそんな人たちのうちのひとりだったというわけだ。

起業した時点でメンバーは3人しかおらず、うち2人がエンジニア(僕と友人)、1人がプランナー(友人の先輩)だったので明らかにゲームを作り上げるには人員が不足していた。特に、デザイナーがいないのが痛かった。3人ともデザインのスキルを持ち合わせていなかったので、誰かが兼務するわけにもいかない。当然ながら、ゲームにデザインは必須だ。なんとかして探すしかない。

『脱社畜の働き方』には、奇跡的にハイスキルな後輩に出会ってこの問題は解決したと書いたのだが、実はその後輩を採用する前に一悶着があったことを省略してある。今回はその話を書いてみようと思う。

面接では理想的な人材に見えたが……

最終的に一緒にゲームを作り上げることになる後輩が現れる以前にも、実は僕たちは人をひとり採用している。思えば、あれは僕が(というか僕たちが)生まれて初めて行った採用だった。今振り返ると、色々と未熟な点があったように思える。

ゲーム開発は3人で細々と進行していたが、デザイナー不在問題はいよいよ緊急の課題になりつつあった。もはや、デザイナーがいないとゲームがリリースできないまま会社が潰れるという状況にまでなっていた。当初、僕たちは知り合い以外の人を会社のメンバーに入れることを嫌がっていたが、こうなってはもうどうしようもない。そこで、デザイナーについては事実上の公募のような形を取ることになった。

その結果、3人が応募をしてきたが、1人は面接の前に向こうから辞退され、残り1人は遠隔作業以外ダメだということで条件面の折り合いがつかず、結局実際に会って話をすることになったのは1人だけだった。その人を仮にTさんとする。

面接の前に既に1人しか残らなかったという時点で精神的にはかなり劣勢に立たされていたが、いざ面接をしてみると、Tさんは理想的な人物のように思えた。フリーランス経験が長く、履歴書を見る限りadobe製品の使用経験も申し分なく、「こういう仕事をお願いしたいが大丈夫か?」と問うたところ「まったく問題ない」という力強い回答もいただいた。熱意もあった。もちろん、その場で内定を出した。その場で僕たちは「ああ、これでなんとかなった」と安堵したことを覚えている。

これがとんでもない勘違いだったのだ。今思えば、あの場でTさんに過去の制作物を提出させ、それについて細かく質問をしなかったのは採用担当者としてありえない行動だった。Tさんに提出してもらったのは鉛筆による簡単なラフスケッチだけで、あとはTさんの「まったく問題ない」というセリフを鵜呑みにして「きっとできるデザイナーなのだろう」と思い込んでしまった。この楽観的な予想は、残念ながら大きく外れることになる。

次々と露見する詐称の数々

Tさんは特に今抱えている仕事はないということだったので、採用の翌日から出社してもらうことになった。メールアドレスの発行などいくつかの定型作業を終えた後、さっそくTさんにアイテムの画像をいくつか描いてもらうことにした。

このあたりから、だいぶ雲行きが怪しくなってくる。

参考画像をネットで探して「こんなイメージでお願いします」と依頼したところ、なんとその参考画像をそのまま加工した画像を完成品として上げてきた。「いや、それ著作権的に絶対ダメですから、自分で描いてください」とお願いしたところ「できない」と一蹴。Tさんの一言に、いきなり職場が凍りついた。

色々と詳しく話してみると、面接の時に「できる」と言ったことや、履歴書の経歴には数々の詐称が含まれていることが次々と露見しはじめた。Tさんには「ちょっと盛っただけです」と言われたが、もはや盛るという次元の話ではない。

結局、Tさんとは話し合いを持ち、採用はなかったことにしてもらうことで合意した(Tさんができることは、残念ながらデザイン素人の僕たちにでもできることだった)。この時も「訴える」などと言われてかなり揉めたのだけど、むしろ訴えたいのはこちらのほうだ、というのが正直な気持ちだった。

就職はゴールではなくはじまりにすぎない

なぜTさんは実際に働き始めればすぐにバレるウソを面接でついたのだろうか。あとで本人に聞いたところ「採用されるために必死だったのと、採用さえされればなんとかなると思ったので」との回答をもらった。

Tさんほど酷くはないにせよ、たとえば転職活動などで「採用されてしまえばなんとかなる」という考えの人は、実は意外といるのではないかと思う。もちろん、企業の採用担当者は僕のような素人と違ってかなり入念なチェックをすると思うので、あまり失敗はないのかもしれない。それでも、何かの手違いで今の自分の実力以上の仕事を求められる会社に入ってしまい、結果的につらくなることはありえる。

思うに、「採用される」というのはあくまで新しい仕事のはじまりに過ぎず、それをゴールにしてはいけない。就職活動や転職活動をしていると、内定を取ること自体に意識のすべてが向きがちになるが、ひとつ冷静になって「就職した後、実際に働いている自分」を想像することも大切なのではないだろうか。大切なのはどの会社に入るかではなく、入った会社で何をするかだ。そういうあたりまえのことを、Tさんのことを思い出すたびに考える。

著者プロフィール

hino100

日野瑛太郎

ブロガー、ソフトウェアエンジニア。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき「脱社畜ブログ」を開設。日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)『定時帰宅。「働きやすさ」を自分でつくる仕事術』(大和書房)がある。

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